マンションの前に通りひとつ挟んで中学校がある。そこからは昼休みになると音楽部の練習なのか「あなたのおウチはどこぉ〜、私のおウチは水車小屋よぉ〜。ヤ〜ホ〜♪、ホトランラン、ヤホ♪ホトランラン、ヤホホトランラン、ヤホホ♪」と黄色い歌声が聴こえてくる。
それはそれで心和む。だが、永遠の野球小僧にとっていつも気になるのは、この中学校の野球部なのである。
晴れた日の午後、校庭の横を通りかかると、つい立ち止まってしまう。野球部が練習をしているからだ。カミさんには「時間がないんだから早くしてよ」と渋い顔をされるが、「先に行ってろ。後から追いかけるから」とフェンスの網目越しに練習を見守ることになる。
「ダッシュするのが遅いッ!もっと腰を落として正面で捕れ」、「ダメ、ダメ、打つときは手先じゃダメなんだ。腰の回転を利かして振り切るんだ」「そう、やれば出来るじゃないか」。見ているうちに、つい声を出してしまう。校庭までは届かないから言いたい放題である。
駅で待ちくたびれたカミさんには「バ〜カ、そんなに気になるなら学校に頼んで監督にしてもらいなさいよ」と嫌味を言われるが、部活の野球部だから監督の先生がいるはずだ。
街を歩いているときカミさんに「アンタ、これならいいかもよ」と言われて少年野球の「メンバー募集」の張り紙を見たことがある。「雑用係でもいいんじゃないの?人手不足で歓迎されるわよ」とカミさんは言うが、「小学生のコーチじゃ物足りないよ」と無視黙殺してしまった。
(子供相手でも野球ができればいいじゃないか)と思い直したときは遅かった。張り紙はすでに撤去されていた。野球がやりたい。せめてキャッチボールでも…。
思いが高じて、ついにグラブを手にキャッチボールの相手を探しにボールの投げっこ公認の公園に足を延ばした。だが、キャッチボールをしている人にはもう相手がいる。(当たりだよな)さすらいの老いた野球小僧の相手をなどというヒマ人もいない。スゴスゴと帰ってから広くもない居間でボールを上げてはグラブで捕る一人キャッチボールをしたが、面白くもおかしくもない。おまけに捕り損なって弾んだボールがテレビ台のガラスを直撃、ヒビが入ってしまった。
それでも懲りずにキャッチボールの相手捜しは続いた。そして、ある日、石塀にポコンポコンとボールを投げては拾う同好の士を発見したのだ。年の頃は50代前半でこちらより少し若い。投球フォーム、手首の返し、使い古したファーストミット。隠れた逸材であるのは間違いない。
「あのう」とかけると、こちらのグラブを見てすべてを察したように破顔一笑した。まるでダンスパーティの壁の花同士みたいだ。逸材は時々、変化球も投げてくる。指先で「曲がったよ」と合図すると照れながらも満更ではない顔だ。
こちらが腰を落とすと黙ってゴロを投げてくる。それを捌いて送球すると片足でベースを踏むようにしてキャッチする。もう、こうなったら実戦さながらの気分だ。
小一時間、汗を流してから「どうも」と脱帽して礼をすると互いに名乗らずに別れた。男の美学といより、ただのテレだ。もう一度、あの逸材に会ってキャッチボールがしたい。
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