いまから20年近く前、バツイチになった私は、すでに結婚している弟夫婦のいる実家に身を寄せるしかすべがありませんでした。その当時、田園風景の広がる地方都市には、アパートやマンションなどは数えるくらいしかありませんでした。
私が生まれ育った農村地域では、ほとんどの人が持ち家ですから、建て替えのためのローンを払うことはあっても、家そのものにお金を払うのは、なんか損をした感覚がありました。いまでこそ、親と別居があたりまえの若い世代の夫婦も、自分たちだけの城を持つ人は極めて少なかったのです。ですから、アパートの供給が少なくても無理はありません。
実家に身を寄せつつも、いつまでも置いてもらうわけにはいかず「清水の舞台」から飛び降りたのが30歳代半ばになった、いまから14年前のことでした。
といっても、単身赴任用のワンルームマンションしか空きがなかったのです。しかも、家賃は37,000円。その後、横柄な大屋さんの独断で、毎年1,000円ずつ値上げされていきました。
私の部屋は、5室×2階建の1階の真ん中でした。現在の集合住宅のように、独立したスペースではなく、通路にそって玄関が5つ並んでいました。
玄関を入ると、右手に洗濯機置き場、その奥にバス・トイレ。反対側には、小さい台所があり、1口コンロを置くと、調理スペースもありません。冷蔵庫は、キッチンセットと背中合わせに置きました。全部で、4畳半くらいのスペースだったでしょうか。
そして、ふすまを隔てて、6畳の和室があります。和室といっても京間ですので、本来の畳よりは小さいものです。和室のつくりは、6畳ですから当然長方形ですが、玄関の反対側にある唯一の掃き出し窓に向かって3メートル40センチくらい、横幅は2メートル50センチくらいだったでしょうか。昔、バレーボールをやっていましたが、3メートルのアタックエリアにも満たない狭い空間でした。
そんな狭い空間ですが、両サイドには窓がないので、家具をぎっしり置けるというのが、利点ではありました。
私は、畳全体にカーペットを敷き詰め、ずれないようにと、ちょっと大きめのピンで止めていきました。そして、驚くべき数の家具を並べたのです。
まず、左側は、ライティングデスク、それとお揃いの材質でできたスライド式書籍。そして、5段の整理タンスです。わずかな隙間には、持ち運びできるキーボード(鍵盤楽器)をケースに入れ立てていました。
そして、反対側は、窓側から3枚扉の洋服タンス、電話台。その後、電子ピアノも加わりました。
残された空間よりも電子ピアノの幅が微妙に広く、押し入れの扉を開けたままの状態で、押し入れの中に電子ピアノの端を突っ込みました。そして、洋服タンスの前には、4段の藤製ラック、テレビデオが並びますので、洋服タンスを開けるのはまさに「至難の業」でした。また、8個セットの収納ケースも購入するのですが、その半分は洋服タンスの上に、残り半分は、電話台の後ろに置くはめになりました。
きわめつけは、パイプベッドです。おかげで、文字どおリ足の踏み場がなくなってしまったのです。しかし、ベッドの下にも物を置けるし、冬ふとんをしまう場所がなくてもベッドの縦半分に置くことができます。昔から寝相がよくて、泊りがけのキャンプのときは蚊取り線香の番人専門だったという特技が思わぬところで生かされました。
そうそう、電子ピアノの下は物を置く格好の場所でした。また、イスの下に強度補強用のH形の枠組があったので、その上に箱を置き、ちょっとした日用品を入れることもできました。そして、普段は、使わない洗濯機の上に設置していた乾燥機の中にも、こまごました物を入れていました。
洗濯を週2回に設定したのは、ひとり暮らしが始まって2カ月ほど経ってからです。普段は、3本の竿を洋服タンスの上と、押し入れの天袋の床面に掛けて、そこに干していたのです。その下には、後に電子ピアノが入ります。ですから演奏するときには、洗濯物の「のれん」を両サイドに寄せなければなりません。もちろん、電話の声やくしゃみまでもが全館筒抜けの環境ですので、ヘッドホンは手離せません。
実家に預けていたほとんどの荷物を手元に引き取ったのは、それから3年8カ月後のことです。その間、地方都市にも田んぼの中に、ハイカラなアパートやマンションが林立するようになり、若い世代の仮住まいとして重宝されるようになりました。そして、実家に残した分を含め、所帯人並の荷物があった私は、ぜいたくですが、大きい部屋へ移らざるをえなくなったのです。
しかし、超・節約生活の原点となった6畳1間は、いまでもなつかしい思い出です。
初めてのひとり暮らし・6畳1間の生活で得たもの
<プラス面> |
・お金の大切さがよくわかった |
・公共料金の仕組みなどにも敏感になった
水道の検針日の間隔を知り、洗濯計画を立てられた
無駄な電気は消しまくる
電気代は、6畳1間のときもその後もあまり変わらない
なぜなら、自分のいる場所しか電気をつけないから
ガス代(プロパンは高い!)を節約するための調理法を考案 |
・スーパーの特売日を最大限に利用
冷凍保存術を覚え、調理のレパートリーを増やすこともできた |
・空きスペースを有効利用するようになった
洋服タンスの上と、押し入れの天袋の床面に、もの干し竿をかける
ベッドやピアノの下に大きい物を置く
イスの下にあるH形の補強枠組の上に箱を置き、日用品を入れる
ふだん使わない乾燥機の中にも、日用品を入れる |
<マイナス面> この6畳1間生活に限っていうと |
・足の踏み場もないので、ストレスがたまる |
・狭過ぎて、掃除機が使えない |
・掃除をするために、荷物を動かすのが大変 |
・1部屋のため、蛍光灯が1カ所しかないので、切れたときは悲惨
(隣の部屋から持ってくるなんてこともできない) |
・窓が1カ所なので風通しが悪い
(反対側は玄関なので、防犯上、開けっぱなしにはできない) |
・隣近所とのつきあいがないのに、電話の話し声などが筒抜けるのが嫌 |
もし、いま6畳1間の生活に逆もどりするとなると、正直いってできません。広い空間に慣れてしまったいま、足の踏み場さえない生活は考えることができないのです。荷物は、タンスや婚礼ふとんなど、かさの高いものを減らしましたが、時代の流れとともに、パソコンやプリンターを置き、作業する空間が新たに必要となったのです。また、荷物を動かさずに掃除機をタタタ―ッとかけることができる空間のゆとりも、自分の生活にぜいたくとは思えなくなりました。 |