先日、娘の通う小学校で日曜参観がありました。ここの学校は日曜の参観は健在なのですが、周囲の他の小学校では日曜参観がほとんどなくなり、平日の参観のみという学校の方が多数派になっているようです。
一昔前と違い、今は男性でも職務形態が多様化していますし、様々な家庭の形がありますので、「日曜」にこだわる必要はなくなってきていて、むしろこだわらない方が子供にとって自然なのかもしれません。
日曜に登校した代わりにに翌月曜は学校が休みになるし、働く大人にとっては同じことなのでしょうね。でもこの学校では日曜にこそ張り切って参観に来られるお父様方がたくさんいらっしゃって、教室の後ろや廊下は結構な賑わいでした。その恩恵を受けられている方もたくさんいるということで、私自身は日曜でも賛成派です。
さて、娘の授業風景ですが、私が小学生だった頃と比べて生徒数が約半分になっているのは少子化の影響で仕方のないこととして、なんと静かな・・・!というのが第一印象でした。
2年生の授業というとまだ複雑なことは教えていませんので、すでに学力に差がついている、ということは見受けられません。どんぐりの背比べのようなものですが、昔だったらそれでも「ここ、どうするの〜?」とか「先生、ちょっとこれ…」等と声を出してアピールしたり思ったことをすぐに言葉にしたりする生徒がいたものです。
現在では、質問があると隣の子供に聞いたり先生にすぐ問いかけるのではなく、静かに手を挙げて先生の気が付くのを待ちます。そして先生が「はい、何ですか?」と聞いてから質問をするという順序になっているらしいのです。
なんてお行儀のいい!と感心するとともに、なんだか授業にスピード感や活気が感じられず、違和感を覚えました。私の時はよく、面白いことをわざと言って人を笑わせる子供がいたり、先生がたしなめながらその生徒をからかったりして、そのやり取りも授業に関係ないけれども楽しかったものですが・・・。
確かに、教育要綱も私達の頃とは随分違っていますので一つのことをじっくり丁寧に教えているな、という感はあります。生徒数も少ないので統制が取れていて、これだったら教師の立場としても「やりやすい」のかもしれません。それに今はまだ2年生なので、これが高学年になってくると授業風景も違ってきて、もう少し活気が出たり私語や笑いも混ざってくるでしょうね。
次に感じたのは教師が画一化されているな、ということです。両隣の教室が同じ学年なので、隣の先生の声も耳に入ったりするのですが、同じ教科ならほぼ同じ教え方のようです。黒板に書く言葉やオリジナルに見える教材まで同じなのでは?と思えるほど規格通りに見えました。
先生によって進み方や教え方に大きな差があっては困りますが、せっかくご縁があって今年度、我が子を担当していただくのですから、何かその先生、クラスならではの個性があってもいいのではないでしょうか。
と思う反面、親の方も昔とは随分違って、些細なことですぐクレームをつけたり、本来なら家で躾けるべきことを学校側に要求したりと、教職員は受難や気苦労の多い職業の筆頭のように感じられ、子供同様なかなか「伸び伸び」と出来ない環境にあると思います。「没個性」が子供や先生方が学校で生き残っていくための処世術になって久しいのかな、と改めて感じた参観日でした。
一方では、他の学年のお母さん方から、「去年担任の先生からこんな面白い提案があって、子供も実践したよ」「あの先生はこんな得意技があって子供にも教えてくれたよ」等のオリジナリティあふれるエピソードを聞けたりすることもあり、我が子も色々な個性を持つ大人の下で色々なことを感じてくれたらな・・・と明るい希望を持つこともあります。
将来にいっぱい希望の芽を持つことが出来る子供たちにはもちろん、大きく伸びて行って欲しいと願ってやみませんが、先生方にももっと思い切り子供にぶつかっていけるような環境を、親、行政、教育現場、他から整えていくことができたらな、とエラそうにも思ってしまいました。
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