人には人のペースがある。それはわかっているつもり。
自分だって、優先すべきことよりも自分のしたいことを先にしてしまう。子供がいる今でもなかなか直らない。
でも、自分のことはさておき気になる。
例えばダンナに頼んだ洗い物。食事が終わって10分、30分、1時間。それ以上に時間経過。
おいおい、次の食事の準備始まってしまうよ。
「まだ洗わないの?」頼んだ家具の処理。一ヶ月経っても、二ヶ月経ってもそのまんま。
促したの何回め?「ねえ。いつ片付けてくれるの?」まだまだ小さい我が子供たち。食事中、ちんたらちんたら口に物を運んでいると、つい「早くたべなさい!」
散歩も始めはいいけれど、疲れてくると、つい「ちゃきちゃき歩いて」言葉が口をついてでてしまう。
まだまだ子供は学校に通う年でないけれど、通い始めて勉強しなかったら、言ってしまうんだろうな。
「勉強しなさい」最近久々に子供たちと地元に帰ったわたし。
そんなわたしを待ち受けていたのは、とても気が利くおばあちゃん。
矢継ぎ早に言葉が飛んでくる。
「ほら、○○が外にでているよ」「ほら、○○がパンツ脱いでしまっているよ」わかっているって!でもわたし、こっちで違うことしているんだよね。手は二本しかないのよ?
今、子供なだめているのよね。ただ抱いているように見えるかもしれないけれどさ、子供の機嫌良くなったらやるつもりなんだからちょっと待ってよ。
それでもおばあちゃんだし、きつく言えない。ガマンガマン。
・・と思ったら。ある友だちにも言われる。
「ほら、子供の食べこぼし!」
わかってんだよ。でも今二人わたしにのっかっているじゃん。待ってよ。
「子供にそのたんびにか片付けさせる」それはわかっていても、毎回毎回無理だよ。今なんてはしゃいでるんだから。
他にも他にも・・。イライラが募っていく。
「別にやらないわけじゃないのに」「ただ、今は待ちの時間なのに」「理由があるのに」・・でも自分も言っているのよね。正しいと思うから。
おばあちゃんや友だちのいうことだって正論。でも気に障るんだよ。
言うことが必要な時もあるけれど、黙ってて欲しい。見守って欲しい。
でもなんて自分が実践するのはむつかしいことなんだろうか。
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