いよいよ覚悟を決める時がきました。昭和3年辰年生まれの82歳。40数年前、相当の覚悟で私を産んだ元祖シングルマザーの母…通称「ばあば」が、この夏をもって独り暮らしを引き払い、我が家にやってくることになったのです。
覚悟…というのも、私をはじめ家族の複雑な気持ちを払拭し極力前向きに捉えていきたい気持から。ばあばが機械オンチで本当に幸い。
この文面を目にしたらやっぱりね。にこやかに、にこやかに「三顧の礼」みたくおいでいただくのですもの。
ばあばからすれば、身体の衰えによる独居の不安半分、何かと束縛される同居には二の足を踏むの半分でした。
申し訳ないことに私の訪問は不定期で、時より温泉や食事を共にして孫たちの近況を伝えて…というパターン。足りないところは福祉の手に委ね、ずるずると日々を過ごしていたのでした。
一方で私の躊躇。義父から引き継いだ家業に主人と連日工具を下げて働き、家族の夕食を作る気力すら無い時もあります。
長女は独立していますが、我が家には自宅通の大学3年次女、大学受験目前の高3三女、全国大会レベルの部活に燃える高1長男の計3人のお子達。
彼らの生活パターンはくるくると変動し、ある意味小学生より手がかかります。さらに隣接して要介護2の義父とぎりぎり元気な義母の居宅。
正直言って今の生活形態を大きく変えてまで、この世で面倒臭い人ベスト3に輝く母親と暮らすのは…と、背中を押すものなくこれ幸いなのでした。
けれどこの数年の衰えの加速は周囲を心配させ、生活に困難をきたすことはなはだし。BGMに蝉の鳴き声が響いていた夏のある日、ばあばの麦茶のコップを持つ震える指先を見ながら「もう限界かなぁ」と心中で呟き、そのままその指先に語りかけてしまったのです。
その夜、私は先行予約済の主人とともに焼きそばのホットプレートを囲みながら、週末帰宅の長女を含め、家族全員におずおずと話を切り出しました。
一呼吸をおいていきなり全員の居室シャッフル会議の始まり。広告の裏に図面がひかれ、「エアコン新調してね」「この際不用品を処分しよう」とやいのやいの。「もお、骨が折れるわ」と愚痴りながら私はじんと胸に迫るもの。
彼らの一呼吸の短い時間の中にはきっと様々な思いが凝縮されていたに違いありません。日頃悩ませるお子達だけどホントありがとね。
しかあし。冗談じゃなく骨の折れる日々が始まったのでした。ケアマネージャーさんへの相談を皮切りに、介護・福祉・保険等々確認の数々。
市役所の介護福祉課、国保年金課、なんたら課のなんたら係…。現場の合間を縫って汗だくの作業着で尋ねると「あっ、その件はあちら」。
居宅をどう改修すればどの補助が?自営業で高額な国保税に四苦八苦しているのに早々扶養に入れて良いもの?居宅が変わったらケアプランは?病院を変えたら治療方針は?
何につけても自分の不勉強さに反省しきり。義父のケアにも関わってきたのに部分しか見えてなかったようです。
同年代の友人たちは、若干親の年齢が低く70代前半に集中しています。まだ良い距離でいけそうでちょっと余裕。
私はというと…低迷する景気に仕事は踏ん張りどころ、家族それぞれへの対処も多岐にわたり、自身は更年期のドアも開き、勿論日々の家事も多忙。こんなに喘いでいながら加えて介護エイジ。
私が老いた時、我が子達はどんな生活背景なのだろう。せめて子育てが一息ついているかしら。
いやまて、結婚してるかしら。晩婚化が進み出産年齢も上がり…という近年の様相を考えるに、親の介護は多忙期が重なり困難なことでしょう。
まっ、経済的に余裕があれば解決の選択肢も正比例よ。一男四女の諸君頑張ってくれ。
「あぁめんどくせー」としばしば電池が切れそうな数日を送り、今週は三女の大博打受験の面談もあるしな。
ばあばのこと、途中で心が折れないかしらんと思いつつ、さていよいよ2世帯合体のための「家財道具大移動旬間」が始まるのでした。
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