秋の訪れも遅く、沿道の彼岸花の開花も心なしか遅い気がしていましたが、ちゃんとお彼岸を前に茎を伸ばし始めました。
田圃には晩稲が頭を垂れ、すっかり秋景色。植物は誰からの教えも受けずちゃんと自分の仕事を知っているのだなあとあらためて思うこの頃です。
草木のけなげさに反し私の方はというと、引っ越しの件はおさぼり状態。いえ、ばあば本人は既に我が家に「お越しいただいて」います。
部屋の元の住人である週末帰宅の長女には大学3年の次女とルームシェアしてもらいました。(御免ね。嫁に行ければ行っても良いよ。)
介護用ベッドの移動も前もってお願いしておいたので、ばあばの居室もとりあえず完成。一汁三菜とまではいかずとも、健やか食を三度三度お運びしているのでした。
介護2の老女に多くは望んでいませんでしたが、運び込んだ荷物を開き収めるまで、ほんっっとに何もせず。代わりに口だけは動く動く。
手が痛いのだそうです。でも、お気に入りのモノは持ってる、扱ってる。6畳
一間の狭い空間でごっそり小荷物を開けちゃあ広げしている丸い背中を眺めつつ、鈍感な私もなんだかなぁ。
あの捨てる捨てないの問答をそりゃあもう散々繰り返した後は、遠方の現場も続き、電池切れるかもーと一週間ほど充電していました。
そして不動産屋さんに届けた退去予定日も近づいたとある週末の一日、主人と私に加え、親しい大工さんにお力を借りての大作業となりました。
まず、ゴミ処理場に直接搬入する処分品をトラックにがっつりと積み込む作業。流石建設業界の男2人、不要になった家具も電気のこでバッサバサ解体し、荷台への積み込みも無駄無く美しいこと。
けれど、2往復して我が家の一階の6畳間へ家財道具の搬入が完了した頃には陽も傾いていました。ホントお疲れ様でございました。
ところで、受験や冠婚葬祭などいろんなシーンでもいえることですが、表面に出る諸経費を抑える算段はできても、案外見えない出費多いものです。
多忙に疲労で自分たちどころか家族も外食お茶に弁当。ゴミ処分や清掃用品出費も予想以上でした。
そして教訓!最近話題になりつつある「断捨離」ではありませんが、不必要なものは買わない。残さない。リサイクルも含めて処分に努め、シンプルに暮らす。これにつきますね。
本人はいなかったけれど、「せめて身体が動けるうちにモノを適正に処分すべきだったよねー」とちょっと憤慨しながら不燃・可燃・資源ごみ…と処理場の各ブースに投げ込みましたよ。
衣類・台所用品なんか6人家族の我が家よりはるかにモノがありましたもん。
老若に関わらず、明日というものが確実に自分の手のうちにあるかといえば誰もわかりません。
突然の死が訪れずとも、旅や入院で家を空けた時、家人や友人に自分の住まいを容易く委ねられるよう努めたいものです。
高齢になれば、モノを出し入れしやすく足元に散乱させないことは、美観はもとより、自分の身の安全でもあります。
あまりモノを増やさない(増やせない?) 私もあらためて日々問うていかなければと思ったところでした。
数日後、不動産屋さんの立ち会いを終え、玄関から振り返った2LDKのアパートは、静かに暫しの眠りにつきました。
家があることが幸せの指標ではないのですが、持ち家率の高いこの地方都市で、ギリギリ借家の独り住まいからの解放です。
兄弟も友人もましてや伴侶も家も、その高慢さで手放していったばあばの財産は、年金と高齢者医療という社会の恩恵だけでした。
いや、私がいるかなぁ?財産格になれるようちょびっと頑張ろ。
不遇の中で生んだ娘は、母が手を差し伸べない間も諸氏の助けをお借して迷いながらも成長し、家族を家を創り、今厳しい経済状況の中にあっても笑って暮らしていますよ。何かと私を憂うけれど、あなたの選ばなかったものをまぁ見てみなさい…ばあば。
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