わが子は2歳1ヶ月の双子。
私の育児方針は原則として私中心。
わが子は本当にかわいい。
でも二人それぞれの言い分、要望をいつもかなえてあげようとすれば本当
に身が持たない。
してあげられること&してあげられないこと、していいこと&してはいけな
いことの区別をつけるために、なおかつ自分がいかに育児によって振り回
されないようにするために「自分中心に」たどりついた。
子供が「理解している」と気が付いてからは、私は子達に対してよく普通
に話しかけるようにしている。
主婦は朝から本当に忙しい。朝食や夫のお弁当の準備、出かけるまでの間
に掃除、洗濯をすませなければならない。加えて、途中参加の二人分のお
むつ交換、着替え、自分自身の用意、持ち物の用意。本当にめまぐるし
い。だからはっきり言って子供の相手なんていちいちしている暇はないの
だ。
そこで、私は毎朝「ご飯の準備するからおもちゃで遊んでてね」と言って
みた。するといつからか、子達は起きると「おはよ。ままごはんじゅん
び。」と言って自分たちで勝手におもちゃで遊ぶようになった。もちろん
テレビなんてつけるわけがない。
そう、子供たちは理解している。そして、テレビやお菓子でごまかさない
でもちゃんと我慢ができるのだ。だから子供がおとなしいうちに、子供が
寝ているうちにとあせって家事をする必要はない。
私は私のする事をきちんと子供に見て理解してほしい。そして(あわよく
ば)手伝ってほしい。だって手があと四本もあるのだから手伝ってくれた
ら本当に大助かり!
子供は大人がする事、特にママがする事にはとっても興味があって、自分
もしたいと思っている。
だから私はできるかぎり子達には、本当に危険なこと以外は、自分たちで
させてあげることにしている。少しでも自分たちで出来るようになるとも
ちろん私が助かるからだ。
2歳1ヶ月。出来ないことの方が多いのはあたりまえ。よごす、ちらかすの
があたりまえ。
嫌なのは大人の都合。
出来なくて、よごされて、ちらかされて、イライラするのは大人だけ。
でも楽しみながら家事を一緒にする方法もあるのだ。(大人の感情を少し
だけ我慢すれば)
食べ終わった自分のお皿を一つずつキッチンへ運んでもらう(割られて困
るものは持たせない)、テーブルの上をふいてもらう(多少汚れが残って
いても方目をつぶって「ありがとう」と言ってあげる)、拭き掃除を一緒
にする(本当にきれいにしてほしいなんてまだ思わない)、洗濯物を干す
時一枚ずつとってもらう(もちろん子達が悪戦苦闘している間に自分でと
れるものはチャッチャととってしまう)、洗濯物を一緒にたたむ(ぐちゃ
ぐちゃでもいいの!)、洗濯物を一部運んでもらう(途中で落ちてもひろ
ってもってきてもらう)、胡麻和えを一緒に作る(すり鉢に入れたゴマを
すってもらう。私を含めて順番でするのがポイント)、コロッケを一緒に
作る(じゃがいもをつぶしてもらう、具を一緒にまるめる。口にしてもす
べてが火に通っているので問題ない、散らかっても食べながらきれいにす
れば問題ない)などなど。
時間がある時に、あるいはイライラを防ぐために時間に余裕を持って、遊
び感覚で一緒にすると子達もママの家事に退屈をしないですむようだ。実
際私も楽しい。
また、実は子達は意外と出来るのだ。まだ出来ないのでしてあげなければ
と思っているのは大人だけかもしれない。
ある日、二歳にまだならないころ、食事のとき子達が箸を使いたいと言っ
た。無理だとは思ったが箸を渡してみた。最初は本当に悪戦苦闘していた
みたいだが、まだ持ち方は別として、使えたのだ(もちろん二人の差はあ
ったがすぐに使えるようになった)。今では納豆の一粒を箸でつまんだり
するのだ。
他にも、外出のとき準備が忙しくて、ついつい冗談で「靴自分ではいて
〜」と言ってみた。もちろん出来るとは思っていなかった。だけど、二人
とも履いていた。
おもしろくなっていろいろ言ってみた。
「ズボン自分ではいて〜」「おむつ自分で替えれる?」
出来たのだ。もちろんふざけて無理難題を言って出来なかったこともあっ
たが(笑)。
本当にすごい!と思った。
でもよく考えて見ると、実は大人が勝手に「はい、○○ちゃん、お靴履こ
うね。」と言っているだけで、本当は、子供たちは自分で出来ることをだ
まっているだけかもしれない。
全てのきっかけは自分が楽をしたいから。自分が子供に振り回されたくな
いから。
自分が中心。でも子達も毎日楽しそう。
時々私が自分の事で悪戦苦闘していると娘が「どうしたあ?ばんがって!
(頑張っての意味)」と来る。
なんとも2歳に応援されるとは。幸せ。
これは一人とか双子とか兄弟とか関係なく思うことだが、子供もりっぱな
個人であるということ。幼い子達は自分の思いや考えを言葉でしっかりと
伝えることこそ出来ないけれど、とてもきちんと見ているし、きちんと理
解をしている。本人の意思もある。
私が子供たちととても意思疎通が出来ていると確信するのは、子供として
ではなく一人の人間として接してきたからかもしれない。年齢とかは考え
ずに、出来る出来ないを私が決めるのではなく、子達に任せようと思っ
た。やってみて出来なければ、ママがする。それで時間がかかっても、そ
れは無駄な時間ではなくて、子供たちにとってはとても大切な時間。
出来ないことがわかっていて任せてみるというのは、私たち大人にとって
とても難しいことかもしれない。
でももっと子供の力を信じてほしい。子供の力は無限大なのだ。
そしてママだって人間。子供に気を使いながら生活はしたくない。
ママにもすることがあること。子達だって我慢しなければならない時があ
るということ。今まさに教えるときである。
自分が時間をうまく使えず疲れてしまうことを育児や子達のせいに絶対し
たくはない。
子達の要望をかなえるばかりが素敵なママではないのだ!(自論です)
私は誰になんと言われても自分らしく素敵に生きたいのだ!
子達よ!ママの姿を見てちゃんとついてきなさい!
後記:最近知ったが、実は私の母も「母中心」で育児をしていたらしい。
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