ふろしきを愛用している。おつかいものや手土産を持参するときはもちろん、気の置けない人へのプレゼントにも使う。また、買い物や外出の際は、バッグにお気に入りの一枚をしのばせて出かける。
お菓子屋さんで菓子折りを買うと、購入した数の分だけ手さげ袋をつけてくれる。相手さんに持参するときには、どうぞお使いください、という配慮なのだろうが、私は断っている。「紙袋は要りません」と。
ふろしきは、ちょっとあらたまった気分にさせてくれ、それを使うこと自体、何だか誇らしい気分にさせてくれる。お気に入りのふろしきならなおのこと。全体のバランスとコーディネイトした、お気に入りのものを何枚か持っていると、使う愉しみが広がる。サイズは豊富にあるが、小さいものと中くらいものを持っていれば、ほどんど間に合う。
私のお気に入りに、市松と、縞、からくさ模様がある。その日の気分によって、また包む中身の大きさなどTPOによって使い分けている。
今どきからくさ模様のふろしきは、珍しいのだろう。リフォーム屋さんにお直し服を包んで持って行ったとき、懐かしいものをお持ちですね、と関心を持たれた。画用紙を包んで、町中を歩いていたときも、通りすがりの人の特異な視線を感じた。
愛してやまないからくさのことを話し出すとキリがないので、話を元に戻す。ふろしきは日本(実は外国にもふろしきはある)の優れた文化だと思う。それは、モノと気持ちを包むということ、何度も繰り返し使う“しまつ”(倹約)の文化だ。最近はエコロジーの視点から、ふろしきを見直そうという動きが活発になっている。好ましい傾向だ。
ちょっとしたものでもふろしきで包むことによって、格が上がり上品に見える。私も使い始めた頃は、少し照れもあったが、今では紙袋で差し上げるほうが失礼と感じるまでになった。ただ相手に手渡すときに気をつけなければならないことがある。それは、ふろしきごと渡しては、相手に心理的な負担をかけてしまうということだ。
幼い頃、母が手渡されたふろしきにちょっとしたお返しを包んで返却していたことが記憶にある。差し上げた相手に負担をかけない意味でも、手渡すときに相手の目の前で丁寧にふろしきをほどき、心を込めて差し上げるのがマナーである。
旅行のときにもふろしきは活躍する。名の由来が、その昔お風呂に通うときに、衣類などをまとめて包み、最後はそれで足も拭いたというところから来ているように、露天風呂につかりにいくなどどいうときには、そのまま応用できる。旅行バッグの中を種類別に整理するのにも便利に使えるし、お土産を買ったら、さっとバッグから取り出して包むなんてしゃれている。
昭和の時代には、当たりまえに見られたふろしきを手に持つ光景も、現在ではほとんど目にすることがなくなった。先日、電車に乗ったときのことである。私は、友人へのお土産におしょうゆの一升瓶をふろしきに包んで電車に乗り込んだ。終着駅で、手土産なのだろうか、缶ビールの箱(24缶入りの大きいもの)を大判のふろしきで包んだ年配の男性を見かけた。思わず後ろから近づいて声を掛けたい衝動に駆られたが、不審がられるといけないのでやめておいた。ふろしき仲間を発見して、うれしい一日の始まりであった。 |